スーパーマン映画について、少し

 ザック・スナイダーの『マン・オブ・スティール』を観て来てから、もう2、3週間経つだろうか、分からないが、もうこの手のリアリティラインの設定って難しいよな!って話&愚癡も、いい加減にしないとな、と思っているんで、さくさく話していこうと思う。
 ザックの手腕は確かだ。彼はノーランのアホなリアルには乗らなかったし、ノーランがやりたくてもできないことを成し遂げたのである。それは、カッコイイことを優先させた、リアルってことである。ノーランは詰まる所、機材のカッコよさ以外は演出できなかった。カメラの質感がいいよね、芝居いいよね、であって、ノーランの演出いいよね、は皆無なのである。だから、ザックのカメラの質感いいよね、芝居いいよね、しかもカッコいいよね、は、正にザックが出来たこと、かつノーランがやりたくてやりたくて、でも出来なかったことがスーパーマンで、ザックがやってくれたわけである。つまり、かっこよくて、しかもリアルってこと。でも正確に言うなら、馬鹿なこと、リアルなことなんかはどうでもよくて、つまるところ、カッコいいかどうかにザックの演出は終始している。だから、ノーランみたいな馬鹿なことを重々しくやるという最低の馬鹿っぽさに陥ることなく、いや、タイトなスーツ着るクリプトン人の話、で、ああ、そうそう、スーパーマンってんだけど、かっこよくないとさ、シャレになんないから、だって、ほら、全タイの変態さんだから、ってんで、ストップ&ゴーの観易く分かり易い、しかもキレッキレのアクション映画として成立したのが本作『マン・オブ・スティール』である。
 じゃあ、面白いかと言われると、まぁ、というのが私の本作に対する印象である。いや、面白いんである。女士官もカッコイイし、適度にリアル、適度にマンガ、適度に馬鹿で面白いんだが、それって、つまり及第点以上ではない、ということの完全な証左とも成ってしまうという印象であって、私としては、それなら完璧にただの馬鹿であるところのノーラン版バットマンも、もしかして面白かったのかとか、そういう妄想に走ってしまうくらい、もしかするとある種の完成型だったとも言えるかも知れない。ま、バートン版バットマン二部作を超えるヒーロー映画はないけどね。
 今回にしろ、毎回、この手のアメコミ映画を観て思うのは、現実という、現実の映像というものが不可避的に、潜在的に必ず、もう絶対必ず持つ、実写ということ、それだけの劣点である。マンガの、あの絵であれば許されるリアリティが、現実に俳優を用いて、現実の風景を、或いは現実を元にした背景をグラフィックで合成して、撮影しても、結局はマンガの絵に、あの絵が有するリアリティの力強さに現実が追いつかないのである。何処まで行っても。
 もはやスーパーマンはスーパーマンでしかない。バットマンバットマンでしかない。しかも、それは実写でなく、マンガである。イラストである。つまり、ここで我々は表現内容は表現様式と適合している時、最も効力を発揮し得るという、ぼんくらの当たり前に回帰してきて、ま、そうだよな、とか馬鹿なことを思うしかないのである。
 その意味で巨大ロボは巨大ロボでしかなく、怪獣はカイジューでしかない『パシフィック・リム』は堂々としたもので、これはこれで私は大変おもしろかったのだが。かといって、いや、じゃあ、やりゃあいいんでしょ、やりゃあ、という、この姿勢にも満足できない自分がいて、それは巧く言葉に出来んしで、しかし、デルトロの新作が最高だったことは事実であって、もう、ほんと、リアリティラインの話なんて、一般化出来ない話は難しいし、馬鹿みたいで厭!

 ついでに言えば、今思いつく、私の好きなアメリカンコミック映画と言えば、だが、バートン版二部作、特に『バットマン リターンズ』、『Xメン ファーストジェネレーション』(X-MEN first classのことっす)、あとはフランク・ミラー大先生、ほんと、ダークナイトリターンズなくして今のアメコミ映画なんて無いよね!Sin Cityは良い映画だったね。あと、どうだろう、思いも依らないものが以外とアメコミだったりするので、分からないが、思いつくところはそんな感じだ。リターンズ、ファーストクラス、シンシティ。くらいか。後はスパイダーマン2!