アンリ・ラングロワ、シネマテーク・フランセーズ創設者

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アンリ・ラングロワのことはベルトルッチの『ドリーマーズ』くらいでしか知らなかったのだが、面白い人みたい。山田先生の本もまだ読んだことなかったけど、読んでみようかな。
まず以下、ラングロワの言葉。

映画の価値を判定するなんて、何とも嫌らしい考えではないか。菓子屋に入って、菓子を買って食べもせずに、ただ眺めて品定めするなんて! 私は次から次へと菓子を食べてしまいたい。みんな美味そうに見えるし事実、美味いに決まっている

以下の三つは山田宏一によるアンリ・ラングロワと、彼が創設しヌーヴェルヴァーグに多大な影響を及ぼしたシネマテーク・フランセーズについての文章。

 アンリ・ラングロワは、映画を葬ってしまう映画批評を認めなかった。どんなに酷評を下しても、結果的に、その映画が見たいという気持ちを起こさせるような批評、それだけがラングロワにとって唯一の有効な批評であった。「どんなにくだらない映画でも、俺に見に行く気を起こさせるトリュフォーの文章こそ最高の批評だ、と彼は言う。いずれにせよ、ラングロワは、これはイイがあれはダメだ、といった具合に、曖昧に映画を裁いたり評定したりする《批評家》を嫌悪し、彼自身も、シネマテークのコレクションの選定基準を一切定めず、映画なら何でも集めた。不完全なプリントでも断片でも、何でも集めたのであった。ジャン・ルノワールの1932年の映画『十字路の夜』などは、一巻分欠けているとのことだったが、「ミロのヴィーナスに両腕が欠けているからといって、見るに耐えないなどという事があるだろうか」というラングロワの名言もある。 (『[増補]友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』平凡社より)

シネマテークは何よりもまず映画を見せる場であったが、「名作しか見に来ないような若い連中」にもラングロワは憤慨していた。名作は各個人の心から生まれるものだと言った。「名作だから見るのではなく、見てから名作になるのだ」。シネクラブで映画を論じてばかりいる連中も、映画を見ながら一所懸命にメモを取る映画狂(シネフィル)も、ラングロワは嫌いだった。「研究熱心のように見えてガツガツしているだけ」と手厳しい。「映画を見る事よりも、メモを取って知識を溜め込んで、やがて映画評論家とやらになって、その知識を商売にするんだ」。 (『何が映画を走らせるのか?』草思社より)

 

 アンリ・ラングロワ自らがプログラムを組んでいたシネマテークでは、一日に3本から4本、時には5本の映画、しかも古今東西の、つまりは年代的にも風土的にも全く脈絡の無い異質な作品の数々を、同一の時間に、同一の次元で見る事が出来た。要するに、色々な映画を、ハシゴしながら、チャンポンで飲むようなものだ。悪酔いする人間は、もうそれだけで映画ファンの資格は無い。作品の時代性、状況性、風土性、その他作品を取り巻くありとあらゆる虚飾を剥ぎ取って、《映画》だけを見る事。極論すれば、映画を一つの作品として成立させている全ての文脈を剥ぎ取ってしまう事。その時、映画は、作品としての存在価値を失い、ただ純粋に《映画》だけの存在になる。何本もの映画を、ハシゴしながら、チャンポンで見るというのは、ファンにとっては、この上なく素晴らしい味のカクテルを、自らの心の中で作って飲む事なのである。個々の作品と、その時代性に拘泥している限り、比較や評価が生まれて来るだけで、肝心の映画その物が、どこかへ消えて無くなってしまう。映画その物に陶酔する為には、評価なんて捨ててしまう事だ。そんな単純な映画ファンの信条を、私はシネマテークで改めて確認したのであった。 (『[増補]友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』前出)

ただ、私としてはそういう虚飾から完全に自由な、真っ白な映画なり、テクストなりが本当に存在するのかは、かなり疑問。いや、理屈としては分かるけど。