90年代のホラー映画、その私的まとめ

映画に関する有名な逸話としてよく蒸気機関車の話がある。お聞きになった方も多いと思うが、機関車が画面に向かって進んでくるのを観客が観て、会場から逃げ帰った、という話だ。また最近読んだ別の話では20年代に初めて「クローズアップ」が発見された時、ある人は手や足、首が切断されて画面に次々に登場するのを観て恐怖したという。絵画は見たことなかったのか、という野暮な突っ込みはご勘弁いただきたい。言いたいのは映画の原初体験として恐怖という感情が割合、大きな比率を占めていた快楽(感動)の一つだったのではないか、ということ。

この十年のことを考える前に、この十年の前の十年のことも少し考えてみたい。

90年代の前半。東西ドイツの関係が一変した後、クリストフ・シュリゲンズィーフ、オラフ・イッテンバッハ、ユルグ・ブットゲライトなどの監督が低予算でそれまでのホラーとは一線を画す作品群を撮り上げた。
『ドイツチェンソー大量虐殺』『バーニングムーン』『ネクロマンティック2』の三作である。どれも暗い画面で陰惨でチープで即物的な暴力が繰り返されるというポルノ映画で、70年代のイタリアホラー(デオダートの諸作品や『地獄の貴婦人』)のえげつない感じをもっとどぎつくした感じだった。
アメリカではホラーは大分、下火というかぼちぼちって感じだった(サイコサスペンスは多いに流行ったが)ので、ホラーファンは多いにドイツの奮闘ぶりに沸いた。沸いたは沸いたが、当時日本でもエクストリーム路線な作品は確かに作られていた。そこにあるアジアっぽさを敬遠した者の多くはドイツホラー(ヨーロッパ)の陰惨さはまた違ってこれならいけるかも、という受け皿を見ていたとも思う。
日本のエクストリームといえば、まず佐藤寿保と松村克弥が思い浮かぶ。佐藤は低予算としてのピンク映画を逸脱し、ホラーと呼べるほどの暴力描写をそこに盛り込んでいったことでジャンル映画の中で特異性を発揮している。松村と言えば、ドイツの監督と偶然にも同時代的な作品を作っていた。低予算で血みどろで恐ろしく反社会的で救いのないものがリアルで芸術なのだ、というような思想はたぶん松村独自のものであろうが(またそれは日本が「平和で退屈な日常」を維持していたから現出した思想であろうと思われるのでドイツとは異なると考えるが)その陰惨さは共通している。
日本のホラーはメインストリームでも傑作が生まれた。
中田秀夫小沼勝の助監督として業界に入り、この時の初現場が『箱の中の女 処女いけにえ』だった。
小沼のこの一作は日活ポルノ中でも異作中の異作であり、エロスの極地は『愛のコリーダ』的な美というよりは恐怖だと言わんばかりのトーチャーポルノだったわけで、後に日本のホラーを変えた『女優霊』の中田に日活、しいてはピンク映画における暴力が根源にあった(何しろ脚本は若松孝二組の小水だから70年代を経て政治的暴力=テロリズムが性的暴力に単純化シフトした、というのが興味深い。小水は80年代の日本におけるスプラッター黎明期に大分貢献した。)、というのは佐藤との共通点としても面白い。
中田が96年に撮った『女優霊』は明らかに過去の幽霊怪談映画に対するメタ映画的な批評であり、超を冠して形容していいほど新鮮だった。
90年代前半は中田と鶴田&小中のタッグが日本のホラーを牽引した。92年に黒沢清が『地獄の警備員』を撮るが、彼が純粋にこのシーンに合流するのには98年を待たねばならなかった。黒沢はホラーというパッケージで勝負しながら、幽霊にアメリカ映画のマッチョを無理矢理投影したような変な映画をつくる。『地獄の警備員』の後、『勝手にしやがれ』シリーズで得た遊撃的な発想が後の彼のホラーへのアプローチを可能にしている。彼はホラーを入り口にして、ジャンル映画を解体し、自分のスタイルを60、70年代の映画に求めるようになった。『カリスマ』や『CURE』はホラーのパッケージをまといながらもヌーベルヴァーグ的でもあり、アメリカ映画的なポストオウムの映画だった。こうしたホラーというジャンルに批評的なアプローチはネタが尽きたアメリカのホラー映画でも発生した。
『スクリーム』がそれに相当する。ウェス・クレイヴンはホラー映画というジャンルを組み立てていく映画を作った。ホラーファンが喜ぶ条件を全て整え、そのネタを全て明かし、その予測を裏切ってみせる鮮やかな手口は犯人が割れた途端に崩壊する。犯人なんて誰だっていいのだ、というこの落ち着きのなさは「誰だってこうなるのだ」という日本ホラーのテーゼと照応関係にあると言えるだろう。誰でも被害者にも加害者にもなる。
さて、『スクリーム』は70年代のアメリカンホラーによくある行事モノを復活させ、ハイスクールの殺人鬼が横行した。『ラストサマー』『ルール』といった作品が続く。ここまで来るのにもう2、3年、この少ない年月で一気にこのジャンルも風化してしまう。
解体されたジャンルとしてのホラー映画。そのマンネリズムはメタな次元にも浸透してしまった。ピーター・ジャクソンサム・ライミは過剰にセルフパロディを更新した後、90年代後半には巨匠への道へと歩を進めた。事実上の撤退と言えるだろう。狭義のホラーは92、3年を境にその過剰を陰惨な暴力の俯瞰ということでしか乗り切る事が出来なくなってしまったのだ。もしくはそれはジャンルの解体と批評的視点で超克されたと言える。

そして2000年が黒沢清の更なる変化球『回路』によって幕を開けることになる。