『県警対組織暴力』、淘汰される不条理

 何よりもオープニングが素晴らしい。
 ヤクザである松方弘樹の男気に惚れてべったりと癒着している警官の菅原文太が、組の若い者に「お前ら捕まえるなんて税金の無駄遣いじゃ、さっさとぶっこんで死んでこい」と激を飛ばすという相当に無茶苦茶なシーン。そこにタイトルがばーんと出て、憂いを帯びた、そして相当に熱っぽい津島利章の音楽が流れる。この曲がまた素晴らしい。『仁義なき戦い』のテーマがあまりにも有名だが、個人的にはこれがベストワークと断言する。
 冒頭の菅原の台詞はまた深作欣二笠原和夫両人の心情でもあろう。敗戦という混乱期を経た少青年たちは後の復興に流されなかったばかりか、それに対して常に異議を唱えてきた。復興からこぼれ落ちて闇市の思い出にすがるヤクザというホモソーシャルな共同体を「もう一つの戦後史」として描いたのが『仁義なき戦い』であり、その完結の後に撮られた『県警対組織暴力』と『仁義の墓場』の二本はジャンル映画の更なる極北を目指している。敗戦の記憶から生じたクニに対する懐疑心は、アカに感情的には共感するが、そのある種の甘ったれた、知識人ぶった言動を激しく否定する。思想は人を救うことがない、それよりも深作や笠原は闇の世界でたくましく生きるヤクザに完全に同化していたのではないだろうか。
 その立ち位置がもっともよく窺えるのが本作だ。
 菅原が演じるのは「拳銃が持ちたかった」(純右翼的発想)から警察になった男であり、彼は国家権力への不信を抱えたまま生きている。その心はヤクザと同じだが、ヤクザという組織が戦後の日本が辿った復興という資本主義的な概念をなぞろうとすることをよしと思わない。復興の波に乗りたいのはヤクザだけではない。梅宮辰夫は立身出世のためにヤクザを人とも思わず取り締まる。しかし彼とて正義を信じているわけではない。この世にはいい下衆とわるい下衆がいるだけである、という確信が底にある。
 最終的に菅原は松方と決裂する。彼らの関係性は「戦後」にいい飯を食おうとする者共によって破壊されてしまう。彼らが孤立するのは資本よりも優先させる不条理(それはドグマではない)を身に抱えているからだが、二人はこれを失う。松方は菅原の銃弾に倒れ、菅原も暴力の応酬のうちに無意味に死ぬ。梅宮だけが天下りして楽しい余生を過ごす。フリードキンは『フレンチ・コネクション』の倒錯した完全形をあなたはそこに見て取るだろう。