『箱の中の女 処女いけにえ』、政性恐戯

 『花と蛇』、『生贄夫人』の小沼勝、その一つの到達点である。
 小沼はほんとの変態だと思う。『生贄夫人』の異常性欲者もかなりアレだったが、この映画はもっとひどい。被害者が最終的には完全に異常者になってしまい、真の奴隷になる過程が生々しく描かれている。そのモチーフは『生贄夫人』などの諸作品と同じだが、その過程がちょっと類を見ないどぎつさで、人命軽視といおうか、人体破壊といおうか、ハードコアな世界である。
 撮影自体が実際に下水道で撮影しており、女優が轢き殺されそうになったりしたと言うが、そうしたロケーション、演導の成果として画面は陰惨、言ってしまえば汚い。汚物の中で腐っていくねずみの死体のクローズアップなどを観たい者は当然少ない。
 冒頭の折檻シーンは生の暴力に見えるようなリアルさで女優をほんとに追い詰めてるのがひしひしと伝わってくる。前ばりをつけていないためか、モザイクの嵐が吹き荒れる。
 木築沙絵子の演技は(おかげで、と言うべきか)素晴らしく、また撮影も流れるようにスムーズで観ている者を飽きさせないところは流石に職人である。ただし照明も何もへったくれで、かつ音楽のチープさ、「セーラー服を脱がさないで」の選曲チョイスの下品さは凄まじいものがある。トラウマ映画と名高いが、この悪趣味、下品さに拍車をかけているのが、ビデオ撮りの質感だろう。画面がまったりと平板で、眼を見張るようなきれいなフィルム的場面がない。リアル指向ということだが、80年代に映画にちょくちょく使われたリアル=ビデオ撮影の方式はたとえば『死霊の罠』のスナッフフィルムだとか、『邪眼霊』だとかの低予算ホラー映画でよく見かけたものだ。恐い、生々しい質感である。
 助監督は中田秀夫、『リング』の監督である。映画の魔に憑かれた小沼に彼がついていなかったら、後の『女優霊』も『リング』も撮影されなかっただろう。エロスを突き抜けた残酷猟奇の恐怖世界が描かれている。
 脚本はガイラ、小水一男。よく見れば、個人の性愛が国家権力を解体する、というようなテーマが後半には見られる。確かにそれは大島渚がやったことであり、若松孝二が犯罪者の視点で映画を撮りながらやってきたことである。脈は繋がっている。それが大真面目というか悪ふざけで描かれているのがこの映画の唯一の救いで、悲惨ながらもユーモアが匂うように画面をカバーする。
 低予算だろうが、確かに面白い映画は沢山ある。中でもここまで熱気を感じる映画は少ない。が、人にも勧められないし、何回も見ようと思わせてくれる映画でないことは確かだ。
 とはいっても本当に下品な映画というのはもっと別にも沢山あって、『生贄夫人』はいいけど、これは駄目というのはその人は小沼の映画なんか何も分かっちゃいないってことを告白するようなものだから止してほしい。AVのエもエロのエも分からない人に観てもらっても困る。まさに人を選ぶ作品であり、このタイトルに辿り着くような好事家諸氏にこそ是非とも観てもらいたい作品である。