仮義に透徹しないジョン・ウォーターズとしての山田風太郎、『春夢兵』を手掛かりに

 山田風太郎は私にとって本命の作家であり、その著作もあまりに膨大であるので全体像を掴むことは困難である。だから、以下に記すこともあくまでその一側面でしかなく、理論でしかないことをお断りしておく。大体、この両人には何の接点もない。ただ山田風太郎を(私なりに)語るためにウォーターズを援用しているに過ぎない。もちろんウォーターズが偉大な映画作家であることは異言を待たない。ウォーターズは含羞の人であり、以下に記すのは全てが私の妄想である。
 山田風太郎は本音を僅かに語る作家である。ジョン・ウォーターズが全てを嘲笑の彼方へと誘うために作品を作っていることと比較すれば、山田風太郎は嘲笑の深淵たる虚無について、しかも特定の人間を待つ虚無でなく虚無を虚無とする業について語っている。(論を先取りして雑な言い方をすれば中上健次が「路地はどこにもない。路地はどこにでもある。」という言葉の元に数々の著を成したことを思ってほしい。)この虚無はウォーターズのように肯定的に描かれることは無い。それは山田風太郎自身の第二次大戦という時機によって彼の人生を貫く「黒い光」(夏目漱石、『こころ』で「先生」を貫くもの)となった、彼の人生を刻印した何かである。ウォーターズはシアトルの暴動やマンソン事件には、ある一定の興奮を覚えたと語っているが、彼はこの歴史を克服し、責任を容認した大人である。山田風太郎の場合、大戦という「興奮」を生涯に渡って超克することはなく、責取することなく、子供であり続けたように思う。
 ウォーターズの作品では常にある主人公が権力を得て、祝福されるか断罪されるという構造を持つが、その人物は常に嘲笑の対象として繰り下げられる。繰り上げられると表現してもいいが、そもそうした権力構造自体を嘲笑するという作品になっているために、上に嘲笑の彼方と記した。もちろんウォーターズはこのような構造から免れぬ登場人物を愛おしく見つめているのであり、もちろん彼もディヴァインや近作におけるスティーヴン・ドーフジョニー・ノックスヴィルの因業を種として作品を作っている。ディヴァインがアメリカ風ジュリエット(サド『悪徳の栄え』)のように剽窃と殺人とに熱狂し、スティーヴン・ドーフテロリズムを断行し、ジョニー・ノックスヴィルが頭頂からザーメンを噴出させる時、観客は嘲笑をもって彼らと対峙できる。でなければ、狂ってしまうかも知れない。ウォーターズは作品の強度をこの一点に求めていると言っても過言ではなかろう。ウォーターズの巧みな手立てによって観客は彼と共に成長する。劇場に行き、作品を笑い、劇場から出ることによって作家に導かれるという幸福を味わうことが叶うのである。
 一方、山田風太郎の場合、ウォーターズと異なるのは第一に言葉で本音を語らない点、第二に僅かに言葉で語る点であると言える。矛盾しているが表現のあやだと思っていただきたい。ウォーターズが過激なテロリズムや犯罪至高主義とでも言える哲学を登場人物に託す時、それはすでに嘲笑の類であるが、一部では「ちょっとした」本音でもある。ウォーターズは透徹した客観性を美学として持っている。一例を挙げよう。
 私の大好きな映画『セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ』においてスティーヴン・ドーフ演じる主人公はパゾリーニ映画祭に殺到しない映画ファンを嘆く場面を寸劇として撮影する。もちろんドーフにとって、これは嘆くべき事態である。なぜなら彼が率いる「スプロケットホールズ」なる組織はアートフィルムや作家主義的理念に適った映画作家愛する人びとによってのみ構成されており、彼らにとって映画とはあくまで芸術として楽しむものであるからだ。パゾリーニが特集上映されているのに喜んで劇場に足を運ばず、「フリントストーン2」や「フォレストガンプ2」、「パッチアダムス」を楽しみ、感極まって涙するような観客は映画本来の楽しみ方を知らない者どもとして罵倒され、最悪の場合は射殺される。
 懐の深いウォーターズはこのような人びとのドタバタをコメディとして構成する手腕を有している。パソリーニ映画祭のあまりの閑古鳥の鳴きようにおどけてみせるヤク中の劇中劇はあまりに大袈裟で、その後の彼らの行動もPTA的な「一般庶民」の対応も同様に馬鹿げていて嘲笑を誘う。だが、同時に『セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ』という作品にウォーターズ作品の中でも、とりわけ私が淫するのは、上に記した寓話の中に芸術映画を好む自分を恥じ、映画はまず商業ベースに乗ることを前提とするかのようにインタヴューに答える、ウォーターズその人の如何ともし難い、アンビヴァレントな本気が覗いてしまっているかも知れない、とそう思うからである。なるほど彼が敬愛するであろうハーシェル・ゴードン・ルイスは全く商業主義で(経済関係の著書もあるほどだ)はったりの傑作群を成した作家だったが、ウォーターズの作品は以上の一例に読めるように、(稀にではあるが)パゾリーニといった名詞の理解を踏み越えなければ、(本質的には)ジョークとして理解できないジョークを用いる場合が存在する。とすれば、ジョークとされている箇所こそウォーターズの本質的な弱点でもある。それは弱い本音であり、これを作品が否定し超えて行くために笑いは発生する余地を得るのだ。ウォーターズにおいてウォーターズという個人が有するかも知れない「本音」とは常に否定され笑われるべきものであって、語られはするがこの次元に留まることによってのみ有効とされるのである。
 山田風太郎ではどうだろうか。彼は戦中派らしい国家への愛憎を(日記を除いて)ほとんどと言っていいほど言語化することがない。思い出してほしい。戦後中間小説に風穴を空ける大傑作『甲賀忍法帖』は、その説話構造自体が濃厚に第二次大戦を想起させるにも関わらず、20人の忍者たちは喜んで死戦に臨み、徳川幕府を瓦解させるといった希望には励まずに、むしろ権力を温存させるためにのみ命を奪い合ったのである。彼らの命は、根本的には権力者の遊蕩であっても(例えば『忍者月影抄』においても)権力構造を問うことなく無駄遣いされるべきものでしかなく、しかも伊賀、甲賀の忍者(物語によって両者の設定は異なる)たちは命令に背くことなく絶命するのである。もし山田風太郎の本音というものが在るとすれば、それは『柳生忍法帖』の後半のある2、3行、『幻燈辻馬車』の全体を通しても4、5行にもならないであろう端々、最も研ぎ澄まされたのは遺作『柳生十兵衛死す』のラストであろう。日記を除けば、物語小説における彼の血を吐くような本音は3ページにも満たないはずである。ウォーターズがあくまで仮の言葉として本音を提示する事とは対照的である。
 山田風太郎という作家はよく稀代の伝奇作家として語られる。もしくは師である江戸川乱歩が評したように「妖剣」の推理作家として。彼の作品は初期の推理小説、中期の忍法帖、後期の明治小説、室町小説というように大別されるが、何作かお読みになられた方はご存知のように本統の歴史から始まり、仮のアクロバティックなファンタジーを経て、再び歴史の本統へと雪崩れ込むという構造を持つものが多い。初期の推理小説でも実は同様で戦後の日常から、殺人事件という非日常を経て、大戦後の焼け野原が現前するかのような日常へと再び還って来る。(『太陽黒点』を参照)行って還る物語は語り発された時点と再帰した時点では世界の認識が根本的に相違する点に魅力がある。山田風太郎の小説は地繋ぎとされている現実から始まり、想像力の限りない飛翔によって、よもや現実の「歴史」と言われたものが無化されもしかねない次元に再帰するところが最たる魅力であろう。無化されも「しかねない」というのがミソで、決して地繋ぎの歴史を無化する方向に作者の筆が走っていかないところが、戯作者としての至上の倫理性である。この倫理性に関しては山田風太郎は全く透徹している。
 透徹できないもの、それは山田風太郎の「幼児性」であると言えるだろう。ウォーターズはあくまで自らの言説を仮義として透徹することによって作品を娯楽化させることが出来ている。もちろんウォーターズの作品(『ジャッカス』やサシャ・バロン・コーエンの作品でも構わないが)に触れる観客は鑑賞前後では異なる世界観を保つのだが、作者が「本音」という言説をどのように扱っているかにおいて、両作家を区別したい。山田風太郎は夢を現実化する作家ではなく、また現実を夢幻化する作家でもなく、現実を幻とも現実とも知れぬものへと変える作家であるのだ。共通の言語でなく、個的言語で訴える作家。作者の言説はもちろん敗れはするが、物語という空間においては飽くまで勝利する。(はっきり言って本稿はこの「勝利」の定義に踏み込んでいないという欠陥を持つ。しかし以下に記する『春夢兵』においては珍しく「勝利」が描かれており、希有な例としての一論でしかないことを了解されたい)これを私は「幼児性」と名称したい。以下、彼の一短編『春夢兵』(『山田風太郎忍法帖短編全集12巻』収録)を手掛かりとして論を進めよう。
 1830年代、四谷の伊賀屋敷を間宮林蔵が訪れ、南部藩の不審な動きを探るための人手を要求する。服部三蔵はこれに応え、三人の忍者を選び、彼らは順々に南部藩に潜入し絶命する。この物語では間宮林蔵という人物が隠密でもあったという歴史的事実から南部藩が行う選民政策という奇想を経て、現在において判明する科学的事実へと事実から事実へ(位相は異なるが)再帰する。冒頭、三人の忍者たちはせっせと春画を書きながら喜多川歌麿について議論する。

歌麿は、大変な醜男だったらしい」
と、その一人、鶴坂彦五郎がいい出したのがもとであった。
(中略)
「じゃから、これは歌麿にとって、自分の夢の世界を描いたものよ」

鶴坂は歌麿春画が優れているのは、歌麿が彼自身の現実を夢想として顕現させたものであるからだという持論を展開する。これに対して水無月民部が、

「では、春画というものは、現実にはあり得ない世界か。夢を現実化したものか。」
(中略)
「何が何だか、わからぬなぁ」

と議論を煙にまくが、この水無月が用いる忍法は彼が鶴坂の論を誤解したように夢を現実とするものである。彼の精臭を鼻にした女人はすべからく彼に夢遊病のようになって犯される。
 この議論を篠縫之介がざっくりと終結させる。

「夢を現実化したものか、現実を夢幻化したものか、いずれにせよ、それは歌麿だからこそ言えることで」
(中略)
「ほかの絵師の春画など、夢も現実もありはしない」

篠の用いる術が本短編のクライマックスとなるのだが、確かにそれは夢と現実とも思われない、身体の不可思議としか言いようの無い事実を突きつけるのだ。ここに間宮林蔵を連れた服部三蔵が現われ、任務の内情と命令を下す。間宮は頼りとなる者どもが春画にうつつを抜かす戯けだと錯誤し、愚痴をこぼすが、三人はこの誤解を説き、目出たく任務を預かる。結果として鶴坂、水無月、篠の順番に彼らは命令を全うし敗れ、最終的には勝利するとも皆ことごとく死ぬ。
 さて彼らが潜入した南部藩で行われていたのはナチが推奨したかのような優生学的国家政策である。頭脳優秀で健康な肉体を持つ者を選抜し、ランク付けし、交配させるという、あまりに馬鹿げた政策で、三人は潜伏しながら、この愚かしい権力を嘲笑する。しかし、これを嘲笑だけで済まさないのが山田風太郎である。
鶴坂、水無月が命を落としたことで依頼主たる間宮はもう十分、南部藩の不審を探ることは叶ったとして三人目である篠の隠密行為は必要ないであろうと語る。これに篠が答えていわく、

「いいえ、私にゆかせて下さい」
(中略)
「私は彦五郎や民部の遺志をついでやりたいのでございます」
(中略)
「むろん、八戸藩を内部から崩すことでございますが、その方法として、軍国を以て任ずる一国を、泰平の世のたわけたる一風俗を以て倒すという—また一方では、伊賀忍法の念力なるものが案外馬鹿にならぬという証しのために」
(中略)
「枕絵を使おう、といっているのです」

枕絵とは、もちろんポルノグラフィーのことである。この短編では山田風太郎的(もしくはウォーターズ的とも言える)幼児的ジョークは最終的には第二次大戦を踏まえた戦中派の本音として語られ、しかも珍しくも文字通り、勝利するのである。ジョークをあくまでジョークとせず、「証し」としてしまうこと。これが両作家を隔てる「幼児性」である。そしてそれこそは山田風太郎が決して大人として振る舞わなかったことの証左でもある。