日記(美術館も年齢制限を設けた企画展示をやってほしいという妄想、ラテンビート映画祭に思う事)

 『ハングオーバー』の続編、無修正版が六本木だけで観れたという。で、それを警察の人が立件しようとして止めたという記事があったが、またかと思って呆れたし、勝手に悲しくなった。いつになったらモザイクがかぶせてあれば卑猥でない、などというアホな議論がまかり通るのが終わるのか。きっとあと100年しない内に、あんなものは消えてしまうのだろうけど。
 現在では、卑猥だとか猥雑だとか言われて挙げられないのは、ある一定の文化的価値を持つものと勝手に判断されるか、いやあの、別にエロとかで生殖器をむき出してるんじゃないですから、という、なんと言うか逃げ馬というか、そういうの、で、ジャッカスとかハングオーバーは良くて、『愛のコリーダ』とかアダルトビデオは駄目ってわけだが。ってことは税関で止められたとかいうメイプルソープも本来なら全く問題外なはずなんだけど、勝手に駄目にされたりする。結局のところは無茶苦茶なわけ。
 芸術という隠れ蓑も駄目とされてしまうこともあるにはある、けれどもそれってある程度の権威が繰り返し上映もしくは展示していけば既成事実化していくのでは、とも思う。この際、年齢制限は致し方なかろうが、それでも少しずつアホなことは少なくなっていくのじゃないかなーと思ったりもする。権威というなら映画館よりも美術館に決まっている、気がするだけだが、美術館は年齢制限を設けた展覧会をやればいいんでないの、という妄想に最近とり憑かれている。と言って何をするでもないので、妄想するんだが、メイプルソープにしろピエール・モリニエにしても、フランシス・ベーコンでさえもたぶん金にならないのだろう、全然やらない。ゴッホ、ダリ、ゴーギャンという「20世紀」か難解だがポップな現代アートに二分して美術館は運営されている、気がする。気がするだけだから、もう少し妄想すると、これはどちらも無害な傾向がある。いや、もちろん実はどちらも相当に毒を孕んでいる。ただ無害な鑑賞態度と難解だという一言で回収可能な側面は仕方なく有している、それは観る方の問題なんだけれど、要はそのような売り込みで刷り込みをされて観に行くのでオーケー。有害です、という触れ込みで美術館が展示を行うことは無いのかしら、そう思うと残念。美術館は夜の水族館、というような売り込みで危ないですよー卑猥ですよーと夜の美術館を売れば、呼び込めばいいなぁーという。入り口がしょうもなかろうが、モザイクだとかが問題にならないという既成事実が、眼を向けるものには向けるだとか向けたくない人には向けさせないというのが、開かれた場所をケガすことで定着していくのじゃないかなーという、妄想に夢中になっている。
 要はこの妄想は一言で足りる。映画館は年齢制限を設けて過激な作品を上映し、あまつさえ『告白』や『冷たい熱帯魚』がヒットするご時世なのに、なぜ美術館はそのような企画を実行して儲けないんだろう、という疑問。単にいまのローテーションで儲かってるからに過ぎないのだろうけどね。
 うーん、でもベクトルとしては映画館でそういうものが既成事実となったあかつきには美術館でも「そういう」企画展が可能になるっていうことなのか、だとしたら『ピラニア3D』は頑張ったと思うし、一作品ずつの積み重ね、か。この動きを加速させるためにも早く美術館で「そういう」企画が観たいが、ま、アブないことはしないよね普通、というわけで映画関係者の地道な努力がいつか実ることを祈りながら、この妄想を終えたい。以下は日記。

 今日はラテンビート映画祭というのに行って来て、The Last Circus という映画を観て来ました。
 スペイン内戦と戦後のテロリズムmeetsジョン・ウェイン・ゲイシー。スペインの現代史をピエロの三角関係に落とし込んでる映画、みたいなことだそうです。とにかくヴィジュアルの強烈さで、そんなこと知らずともぐいぐい持っていかれる変てこで膨張してる映画でした。個人的にはサーカスの小人がストーリーと関係無く常に文字通り「飛ぶ」のが、いただけないくらいブラックな笑いで印象に残りました。最後は石井輝男の例の映画みたいにひとっ飛びしてしまうのもしょうもなさ過ぎて。
 ラテンビート映画祭は東京、京都、横浜の三カ所のシネコンでのみやってて、今年はとても面白いラインナップでこうした作品が全国上映されないのがほんと勿体ないです。メキシコ、スペイン、アルゼンチン、ブラジルの多種多様な作品群はどれも魅力的ですが、私は上のだけ観ました。オリヴィエ・アサイヤスの『カルロス』とか『チコとリタ』も面白そうです。日本に入ってきてない、上映されてない面白い作品は沢山あるという当然の事実ですが、そういうの日頃忘れてしまいがちで。ついつい、最近面白い映画ないなーとか愚痴ってしまいますが、そんなことは全然無くて、実際のところ面白い作品があり過ぎて劇場のローテーションがパンクしてるってことなんですね。東京みたく劇場が沢山あるとこならまだしも地方にはミニシアターもあって1、2館なので東京で演った映画をまわすだけで手一杯。だとすれば、今回の映画祭みたく少ない日数でシネコンを使ってマイナーな良作を紹介するというやり方は素晴らしいなーとか思ったり。どうせ儲からない映画を延々ロングランするより、1、2回の上映でもいいから数多くの作品を紹介していった方がいいような気もするし。シネコンにかつてのミッドナイトシアターの役割を担ってもらえたら、っていう発想ですよね。絶対いいと思うんですが。
 そういうグダグダなことはどうでもよくて、とにかく面白い映画でした。グロテスクだし悪趣味でしたが、決してマニア、映画ファン向けの作品ではなく、誰が観ても(幅広い意味で)楽しい娯楽映画でした。作家の映画(映画ファンが観る)と商業映画(映画ファンは絶対に観ない)という下らない敷居ばかりで、娯楽映画というのがあまりに少ないと、歎く方がいらっしゃいますが、売り出し方も含めてこういう映画祭、こういう映画がもっと上映されたらいいな、しかもシネコンで、という感想です。そういうのコミで『監督失格』には期待してます。

 最近よく考えるのですが、北野武の映画が海外に行く、とか三池崇史園子温の映画だとか、宮崎駿の映画にしても海外に行くじゃないですか、でもそういうのもきっと上の映画のような感じなんだろうな、ってこと。実際のところ、海外でも同じなのかも知れないですね、自国の面白い映画を利権込み(悪い意味じゃないです)で回していくだけで精一杯でヴェネチアでベルリンでカンヌで賞を取った、アカデミー外国語映画賞取ったとか、アカデミーそのものを取ったと宣伝しても、そういうのに釣られるのは得てして映画ファンだけなので、上の日本映画監督なんて海外ではThe Last Circusのアレックス・デ・ラ・イグレシアと同じくらいの知名度なんだろうな、と。全ての映画に対して、完全にフラットに楽しむというのは困難過ぎるのですが、情報の偏りだとか権威主義だとか地理的距離だとかで、つまり見る側の問題で埋もれるものは埋もれるし、届くものは届く、この届くのがえらい天文学的な困難なわけで面倒だし、これって凄いなーとか白痴みたいに惚けてしまいます。人に話聞いてもらうの大変だし、席を立ってもらうのはもっと困難っていう、ああ大変っていうね、だから何、って、まぁ。いつかは立たなくなるアンテナですが、立つ限りはチェックしときたいな、とか、だってウチ地デジなんてそもそもTV線抜いてるし、とか、またくだらないこと書いてしまいましたが、とにかく面白い映画祭、映画ですからよかったらググってみてくださいね。