春の詩

 高橋哲哉さんが紹介していて、美しい詩だなぁとは思ったものの、頭の片隅に追いやっていました。
再び思い出して、ぐぐったり、手帖に書き付けたりして、ここにも載せておくことにします。
 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2004/06/0406j0121-20001.htm



奪われた野にも春はくるのか
              李相和(リ・サンファ、1901―1943)(選訳・康明淑)
              「開闢」70号(1926.6)収録
 
 
 今は他人の地―奪われた野にも春はくるのか

 
 わたしは全身に陽光を浴び
 青い空と青い野が交わるところめざして
 カリマ(髪の分け目の白いすじ)のようなあぜ道を夢の如く歩いて行く

 
 口をつぐんだ空よ野よ
 わたしにはひとりで来たような気がしないのだ
 おまえが誘ったのか誰が呼んだのか もどかしい 答えておくれ

 
 風は耳元でささやき
 一歩も立ち止まるなと裾をゆすり
 ひばりは垣根越しの乙女のように雲の間で嬉しそうにさえずる

 
 ありがたく育った麦畑よ
 ゆうべ夜半を過ぎて降った美しい雨で
 おまえは麻束のようなその髪を洗ったのか わたしの頭まで軽くなったよ

 
 ひとりでも勇み行こう
 乾いた田を抱いて流れるやさしい小川は
 乳飲み子をあやす唄をうたいひとり踊り行くよ

 
 蝶よ燕よ そんなに急かすな
 たんぽぽや野の花にも挨拶しなけりゃ
 ひまし油塗った人が草刈した野だからしっかりと見ておきたい

 
 この手に鎌を持たせておくれ
 ふくよかな乳房のようなこの土を
 足首が痺れるほど踏みしめ心地よい汗をも流してみたい

 
 川辺に戯れる子供のように
 飽きもせずきりもなく駆けまわるわが魂よ
 何を探しているのか 何処へ行くのか 可笑しいではないか 答えておくれ

 
 わたしは全身に草の香をまとい
 青い微笑と青い悲しみが交わるなかを
 足を引きずり一日中歩く どうやら春の神霊にとりつかれたようだ

 
 しかし今は―野を奪われ 春すらも奪われるというのか